打ち合わせのため、熱田神宮に行ってきました。ここ数年、熱田神宮でのイベントに関わることが多く、(僕の家系は、神道ではなく仏教系の東本願寺ですし、関わりも電子オルガンの演奏家としてなので)不思議な感じがします。
不思議といえば、僕がこうして電子オルガンの活動を続けていることも自分自身不思議と思う時があります。
行く先々で時々、「どうやって今のようになったの?」「いつから音楽をはじめたの?」「音楽の仕事は、どこから来るの?」といった質問をされます。
こうした質問をしたくなるのは、自然な感情ですし答えられる部分は素直にお答えしています。
東京の音楽系の大学を卒業し、生まれ育った名古屋に戻ってきた時、よく言われたことは「東京に残らないの?」とか「音楽やるなら地方都市の名古屋ではね~」とか「電子オルガンで仕事なんてあるのー?」みたいな事をよく言われました。
ただ、卒業当時の僕は音楽活動で収入を得るとかという考えはほとんどなく、名古屋に帰り仕事としてではなく、漠然と音楽に関われると良いなという思いだったと思います。また、大学に入学した時点で名古屋に戻ることは自分の中で何となくイメージしていました。
電子オルガンコンクール(ヤマハインターナショナルエレクトーンコンクール)のセミファイナルで落選した時も、大学の先生には、「安井君の場合は新しい世界に行った方が良い。」とか「これから大きなステージに立つことがあるでしょう。」とアドバイスを頂いたり、大学在学中に高校の同窓会があり担任だった先生にも「あなたは、面白い人生を歩んでいくことになるでしょう。」と言われました。
当時の僕は全くピンとこず「はい???どういう意味だろう。意味深。」という感じでした。預言者や占い師じゃない先生達が何で先行き不透明な時代にこんなことを言うのだろうと思ったものです。今思い返しても理由や説明という部分が抜けているので、僕の抱いた感情は普通だったと思います。
一応、大学で中学・高校の教員免許(音楽)を取得していたので狭き門ですが教員を目指そうという時期もありました。その時も「教職に就くと、一定以上(兼職兼業の範囲や趣味の範囲以上)の音楽活動ができなくなるのでやめた方が良い。」と学校関係の色々な諸先生方にアドバイス頂きました。
電子オルガンの演奏の仕事に限って言いますと、今ではフリーで活躍されている方も増えてきましたが、それまでは楽器店主催のコンサートやワークショップ、展示会や発表会、コンクールのゲストというインナー向けの仕事が主流で、それ意外には結婚式での演奏という感じでした。こうした仕事も、楽器メーカーがマネージメントをして奏者に演奏依頼するというのが一般的なスタイルで、それ以外のフィールドで電子オルガンの活動をする人というのは僕の知る限りあまりいませんでした。(いたかもしれないがあまり目立たない範囲とか電子オルガンの世界とは遮断されての活動)
つまり、現在のような活動や生き方を僕自身も全く予想できなかったわけですね。
実家は芸術関係にコネがある家系でもなく、マネージメント会社に所属しているわけでもない僕が活動を続けられてこられたのは色々なご縁で繋がっていったということに他なりません。
よく人からは、「たたき上げの人(自分の努力のみで一人前になった人)」みたいな感じで言われることもあるのですが、陰日向となりお支え下さる皆様に感謝しています。
また、これも時々言われることなのですが「安井さんの隠れファン多いですよ~」と励まし(お慰み?)のお言葉を頂くのですが「ん?僕のファンでいることが隠れていなければいけないほど恥ずかしいことなの?悲しー!!(泣)」となるので、ぜひお声掛けを宜しくお願いします。
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