中川第九のお話を頂いて今までにも何度か第九の電子オルガン演奏をさせて頂いたので気楽な気持ちでお引き受けしていました。ところが後からタイトルを知り心理状況が急転でした。「名古屋で初めての電子オルガン伴奏による(第九)」というサブタイトルが付けられていたのです。このサブタイトルが付けられていることで嫌でも電子オルガンがクローズアップされる、、、、。しかも地元イベント。プレッシャーでした。中川第九合唱団は、これまで区政周年行事としてプロオーケストラ演奏による公演も何回か成功させています。中部東海地方には、法人格を持つプロオーケストラを始め、音大卒業者を中心にした新しいオーケストラ、市民オーケストラ、学生オーケストラなど本当にたくさんのオーケストラがあり、費用面だけの問題であれば吹奏楽、ピアノなど様々な編成で各地で開催されていますので、あえて電子オルガンを起用しなくとも第九公演ができるのです。
こと伝統を重んじる保守的なクラシックのライヴ演奏の現場は、電子楽器や音響技術に対して根強い反発がある世界。僕は、今まで当たらず触らずというスタンス(触らぬ神にタタリなし?!)でしたが、(問題を明らかにする時が)とうとう来たかという感じでした。
現代社会はメディアや録音再生技術が発達しインターネットをポンと検索すればクラシックの名演奏も簡単にそして高音質(スピーカーの品質の差の問題は別として)で楽しめる時代。それは私たちの耳が、知らず知らずミス一つない電子音響技術で加工されたある意味で完全な音楽が基準になってきていることを意味するのではないかと感じています。
電子オルガンをはじめとする電子楽器の音は、大雑把に言えば鍵盤を押すとCDレベルの録音された音が出るというサンプリング音源です。話を戻すと、電子楽器の音を否定することはつまり録音再生技術を否定することで、現代社会一般の音の基準を否定することにつながります。これは、電子オルガンや電子楽器を肯定するための都合の良い論理ではなく、どうしようもない社会の趨勢(すうせい)や事実として述べています。
クラシック演奏分野では、こうした事実をちゃんと議論せず頭ごなしに電子楽器や音響技術を否定してきたという背景があるのです。また、電子オルガンでオーケストラクラシック曲を演奏すると、今まで費用が安くて済む代用品といった利便性や実際の楽器とはここが違うというような比較論ばかりが堂々巡りのように議論されてきました。しかし本当にそれで良いのでしょうか。
心が癒されるからといってロウソクの光を日常生活すべての光をロウソクに置き換えることはできません。省エネルギーのLEDライトも普及し始めています。音楽についてもクラシックだからと言って、大切にしなければならないことを見誤ると社会からの断絶、拒絶、孤立につながってしまうのです。といったところで、そういった今までちゃんと議論されてこなかった事実も踏まえ自費出版で下記「電子オルガンガイド」を作り、プログラムに折り込んで頂きました。音楽に関わる人もそうでない人にも読んで頂けるように、できるだけ分かりやすく解説したつもりです。ぜひお読み頂ければ幸いです。
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