先日、ローズコートホテルにて行われました愛知県音楽教育研究会例会での講演・演奏「テクノロジーと音楽教育」のレポートです。
講演の対象は、愛知県内の音楽校長先生を中心に構成された音楽を専門にされている公立学校の先生方で、いわばこの地域の音楽教育、音楽文化向上を担ってみえる先生方です。
これまで学校音楽研究会での電子楽器関連の講演は、全国的に見ても非常に少なかったそうで、愛知県音楽教育研究会でも勿論初めてのことだそうです。
音楽活動をしておりますと、未だに「アコースティックか電子か?」とか「デジタルかアナログか?」といった議論に時々遭遇します。
「最終的に個人の趣味趣向」ということで濁らせて終わりのところがあったのですが、僕はこうした議論に決定的に欠落している部分があると考えています。
それは、「電子楽器の仕組みや成り立ちへの正しい理解」「社会状況による音楽環境の変化」です。今回の講演会では、この2点について重点を置き内容を構成しました。
また、音楽の先生方対象ですので演奏や音を実際に聴いてもらい感じて頂くことを大切にしました。
現在、私達は水や空気のようにテクノロジーの恩恵を受け生活しています。それは、まるでテクノロジーという大きな大きな海を泳いでいるかのようです。電子楽器は、このテクノロジーの進化とともに発展してきました。
今やカメラやビデオでなくてもスマートフォンで実用的な写真ビデオ撮影や編集ができるように、電子楽器の価値は多岐にわたり非常に複合的です。
一般的に電子オルガンやシンセサイザーなど電子楽器、DTM(デスクトップミュージック)というと、「これを購入すればこんなことが出来る」といった販売促進を兼ねた新製品の操作方法、活用法、演奏法などのレクチャー、ワークショップが多いのですが、今回は、視点を変え、電子オルガン奏者の立場から、以前より音楽教育全般で語られることの少なかった「テクノロジーと音楽との関わり(テクノロジーが音楽文化に与える影響)」というテーマを設定させて頂きました。
現代の電子楽器の主流の音源は、サンプリング音源です。簡単に言うと音を録音し、鍵盤がスイッチとなり録音した音を再生させるという仕組みです。また、電子楽器の技術は、レコーディングにも応用されており、録音・音響技術と電子楽器は相互に連携し密接不可分の関係です。この点、電子楽器を楽器分類のみで認識するのは不十分だと考えており、オーディオ録音再生・音響装置としての側面があるという理解が必要です。
これは本当の意味での電子楽器の習熟には、音響の知識・理解が不可欠ということも意味します。
メロディ・ハーモニー・リズムという音楽三大要素に、もう一つ要素を付け加えるなら僕は「音色(音響を含む)」という要素だと考えており、この4番目の要素「音色(音響を含む)」にテクノロジーが深く関わってくると考えます。
ここでは、テクノロジー=電子楽器、録音・音響技術と解釈することで、理解しやすくなると考えます。
広義の意味において電子音楽の定義は、<スピーカーから出る音は全て電子音楽>とされています。これは、録音してメディアのスピーカーから送出されるまでに、様々な機材の影響を受け、電子的な加工調整を経ているからです。
テクノロジーとは無縁と思われるクラシック音楽のCDもマイクの特性・配置の影響を受けたり、ミキシングなど様々な調整加工をされており録音・音響技術(テクノロジー)抜きに語ることはできません。
*電子音楽=電子楽器による音楽・録音された音=スピーカーから送出される音
僕は、下は保育園や幼稚園、上は大学まで、これまで様々な学校や教育機関で電子オルガンコンサートをさせて頂いてきました。
その経験から、最近特に感じるのは子ども達の耳の感覚の変化、音楽への嗜好の変化です。子ども達のリクエスト曲の多くは、テクノロジーを活用することを前提とする音楽です。現代の私達の耳も、好むと好まざるとCDやTVやユーチューブなど録音され、整音・加工されたメディアの音楽、つまりテクノロジーを介する音に慣れ親しみ、いつの間にかその音が基準になっているように思うのです。
子ども達や若い人達が好む、歌詞のテロップ表示を前提としたリズムが複雑でアップテンポの歌は、いわゆる「打ち込み」(ボカロを含む)と呼ばれるコンピュターミュージックの発達により形成された文化と言っても過言ではないはずです。
ピアノという楽器自体の成熟・完成と一体となって開花したロマン派のピアノ作品とその表現技法を、チャイコフスキーからラフマニノフに至るロシア・ロマン派を中心に置いて、まさにピアニズムの精髄を真向から問う形で競い合う。<中村紘子氏「ピアニストという蛮族がいる」(文春文庫)より引用>
上記のピアニスト中村紘子さんが書かれた著書の記述にもありますが、その昔、ピアノが楽器として成熟するに従い、ピアノの為の作品がより豊かなもの発展していったように、テクノロジーの進化とともに生み出される音楽も進化しているのでしょう。
言い方を変えればテクノロジーの向こう側には必ず「表現したい音や音楽」つまり「創造する心、追求する心」があるのです。美学が存在するのです。
電子楽器は、これまでアコースティック楽器の仕組みや表現、文化を模倣、取り入れることで発展してきた歴史があります。しかし、今は逆輸入のような形で小学生の子ども達がボカロ曲、音の割り付けの細かいアップテンポの楽曲を好んで歌ったり、著名オーケストラとボーカロイドとの共演、吹奏楽や合唱でEDM(エレクトロダンスミュージック)の楽曲を演奏するという事例が増えてきているように生身の人間の歌唱やアコースティック楽器の演奏においても電子楽器の表現や文化を取り入れることを求められる時代に入ってきているように思います。
音楽教育においても、このテクノロジーの存在について目を向けていかなければ、ギャップが生まれ行き詰まると考えます。
また、テクノロジー(電子楽器、録音・音響技術)について正しく認識し、理解を深めることで制約の多い現場での問題解決の糸口になるはずです。
今回の講演では、補完する配布資料を準備し、実際に生まれているギャップを例にとり、問題点を整理し考察しました。また、DTMソフトを使用しプロジェクター投影して、実際に音を聴いて頂きながら、サンプリングの実演を行ったり、様々な音響加工の紹介を交え、傾向の違う様々な楽曲の電子オルガン演奏とともに主に以上のような内容を順序立ててお話させて頂きました。
複雑に絡まった糸を一つ一つ解き、新たな布を織るような作業で大変でしたが今まで自分自身が悶々としていた気持ちも整理することができたような気がします。
あらゆる社会動向とリンクするテクノロジー。テクノロジーと向き合うことは、社会と向き合うこと、それは子ども達と向き合うことにつながるのではないでしょうか?
愛知県音楽教育研究会会長の大橋晃先生をはじめ関係スタッフの皆様には、機材搬出入を始め至るところで細やかなお心使い、ご配慮を頂き、無事に終えることができました。心より感謝申し上げます。また、講演会後の食事をしながらの懇親会では、現場の先生方と色々なお話ができ非常に参考になりました。
電子楽器や電子オルガンの可能性について対外的な場で発信する貴重な機会を頂けたことを励みに今後も精進して参ります。
愛知県における音楽教育の今後益々のご発展を心より祈念しております。
追記:後日、参加の先生より「*目から鱗が何枚も落ちるようだった。」「スゴイ演奏とわかりやすいレクチャーでお土産をたくさんもらったようだ」と嬉しい感想を頂きました。短い講演時間(1時間)で非常に大きなテーマを取り扱うため、内容の吟味、精査に腐心しましたが共感を得られホッとしております。
*目から鱗が落ちる→何かがキッカケとなり、急に視野が開けて、物事の実態が理解できるようになることの例え。語源:新約聖書「使徒行伝」第九章の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」から生まれた言葉。本来は、誤りを悟り迷いから覚める意味で使われていた。
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