世の中は、ゴールデンウィークだというのに仕事の日々。(涙)さて先日のブログでボーカロイドについて書きましたが、ボーカロイド「初音ミク」の人気曲「千本桜」を検索すると色々な人が様々な形でカバーしておりビックリ。気になった動画を下記に埋め込んでみました。僕が、学生時代に電子オルガンを演奏していてよく議論になることの一つに、オーケストラの作品やバンドの作品をトランスクリプションし演奏すると、一台(一人)でよくそんな演奏ができるね!と驚かれる一方でイミテーションだとか二番煎じというような批判を受ける場合があり、よく考えることがありました。後者の批判は、どちらかと言えば作曲の先生やクラシック、ポピュラーの問わず仕事として演奏に携わっている方やご自身が演奏される愛好家の方から出る意見で、一般の方からは、あまり出てこない意見です。
下記ボーカロイドのカバー動画を見て感じることは、電子楽器や電子的な音響は従来アコースティックの所詮模倣、代用品とされてきましたが、アコースティック(人間的)がエレクトリック(非人間的、機械的)を模倣する時代となっていると感じるのです。以前は、チープと批判されてきた電子楽器のサンプリングされたストリングス(弦楽器)やブラス(金管楽器)の音でさえテレビやラジオ、インターネットで聞かない日はないほど普及一般化しているのです。また僕は、安易に電子楽器や電子的音響を推進しようとしているのではありません。ブラスバンドで、トランペットやホルンも演奏しましたし、生のピアノも必要があれば演奏します。前述の批判は、単なる個人の価値観や趣味趣向の押し付けであり、論理的根拠に乏しいと感じるのですね。
ボーカロイドでは、人間では出来ないような高速発音、高低差のある楽曲も演奏できます。こうした非人間的とされた楽曲をも若い人たちの中には情熱?をもってコピーし超人的な高速発音や通常では考えられないような高低差のある楽曲をマスターし動画にアップしている人がいるのです。つまり、オーバーに言えばボーカロイド作品が人間の可能性を拡げている?とも言えるのです。
また、こうした技術は様々な事情で声帯を失った人達のために応用されたり、医療分野にも応用されていると聞きます。
会議や打ち合わせで、知人からもよく聞く痛いパターンとして、「分からない」「未知」という理由を素直に表現できず感情的に「これ嫌い!」「好かん!」と言って頑(かたく)なに拒否し、その場にいる人達が口を閉ざしてしまう状況に時々遭遇するのですが、どんな分野であれ異なるものを排除するだけでなく、新しいもの目を向けたり他を認め受け入れる寛容さも必要と言いたいのですね。そうした柔軟な態度が変化の激しい時代で淘汰されず生き残る術ではないかと考えるのです。
様々な意見や批判が世の中にはありますが、それが同人世界での話であったり、趣味趣向の範囲、価値観の押し付けであるのか、根拠に基づいた多くの人に向けた進歩的な意見かどうか見極める必要がありそうです。
↑オリジナルの初音ミク「千本桜」
↓「千本桜」の様々なカバー
↓高速発音部分が話題となった「初音ミクの消失」(4:00位から)
↑高速部分を頑張って歌う動画!!
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